PiratePad使ってみた。「ギョーカイ用語は暗号だ!」

PiratePadというサービスがあります。
< PiratePad >
まだ使い込んでいませんが、複数人でリアルタイムにドキュメントを同時に編集できるという、
クラウド真っ盛りな感じを体感できるサービスですね。
これを使って、テーマを設けてTwitterで参加を呼びかけてディスカッションしてみました。
元ページはこちら
発言者の名前とともに転載します。
予想以上に面白くて、また今後も何かテーマを設けて続けますので
なんか引っかかった方は Twitter:nariakiiwatani をフォローしてください。
以下、ほぼコピペと、補足です。


nariakiiwatani:
第1回 「ギョーカイ用語は暗号だ!」


さて、始めてみます。
ギョーカイ用語、ここでは、あれです、「コーヒー」→「ヒーコー」的なヤツです。
で、あ、そうそう、みてる方もばしばし書き込んでくれて構いませんよ。

nihongo utenai
(nariakiiwatani注:ツールの不具合でしょうか、ここで日本語が打てなくなりました。)
unknown1:
約:日本語打てない
(nariakiiwatani注:ありがとうございます!)
unknown2:
かけるの
ごめんなさい
ええkg
(nariakiiwatani注:ツールの不具合か仕様か、同時に複数人が書き込むと入力が不安定になるようです。ご迷惑おかけしました。また次回よろしくお願いします。)
nariakiiwatani:
復活。
ここでの暗号っていうのはですね
ある団体、仲間、まとまり、つまりコミュニティーの中で
そこの仲間であることを示すための合い言葉みたいなもので
よくある話だと、忍者の里で、車座になって座っているときに
「空をみろ!」と号令がとんで、周りは全員、暗号がわかってるから目を下に向ける、
ところがそこに潜り込んでいるスパイは空を見上げてしまって、ばれちゃう、と、そういうヤツですね。

で、ギョーカイ人たちは、まぁ何もスパイがいると思っているわけではないんですが
(飲みながらなので論展開が遅いかもしれません。ごめんなさい)
相手が使う言葉と自分が使う言葉の近さを(無意識に)量ることによって
その人との仲間度とか、その人のギョーカイ度を推し量っているわけですね。
多分。

で、面白いのは、ギョーカイ用語はそういう役割をもっているのだけど、
それを使う人や使い始めた人は多分そんなことは意識していない、と。
そこなんですよ。
何か他の人とは違うところを作りたいだけ。
(それすらはっきりとは意識していないのではないか。)
それだけで、独自の文化が生まれ、それがそのコミュニティーの人々に広まるんです。

ギャル語、ってのもそれですよね。
ギョーカイ用語よりももっと暗号性が増して、他のコミュニティーの人には
わからないようなつくりになっている。

その言葉は暗号だから、同じコミュニティーにいる人にはわかって当然。
でも、どんどん新しい暗号を仲間内で(とても狭い単位で)生み出して行くから、
同じ学校、同じクラスでも、ちょっと縁が遠い人にはすぐにわからなくなる。
それで、仲間はずれを作りやすくしているんじゃないか。(ちょっと脱線ですが。)

しかしこの暗号には、むちゃくちゃながらちゃんと理由がある。
これとこれとくっつけて回転してこうすればこう読める、みたいなね。
それもまた面白い価値ですね。
ここまで書いといてなんですが、僕にはこのことに関して確かな知識はないですよw
odamichi:
名づける、というのは、相手を自分の所有物に近いものにする、
もしくはあだ名をつける、などの相手への愛着などにつながるので、
そういう部分があるような気がしないでも無いです。
あとは、単に面白いからとか。
などと書き込んでいいんだろうか?
nariakiiwatani:
なるほど。
あるもの、人、を、自分が表現しうる世界に押し込める、というようなことでしょうか。
odamichi:
近いかもしれない。
余談ですが、国が国を侵略したときに、相手の言語や現地での名前を奪う、というような行為が行われていた。
それって、名づけることの、力の強さを表している気がします。
nariakiiwatani:
名付けについては実は次回のテーマにしようかと思ってたんですよw
いいっすね、このまま続けましょう。
言葉には文化が反映されます。
というよりは言葉が、文化をみるときの大きな一面です。
その国や地域で大切でないものには名前はつかない。
「お湯」を表現する言葉がなかったり、虹を何色に区切るか、というのもそれ。
出世魚なんて、魚を食べるか崇めるかってことをしないと必要のない概念ですよね。

ちょっと、トイレいってきます・・・

odamichi:
日本はお米が重要だから、稲、お米、ご飯、などと表すけど、英語だと、あ、RだっけLだっけ。
おいといて、英語圏だとお肉に対して言葉の種類が多い、とかもそうだよね?
nariakiiwatani:
ですです。(帰ってきました)
とにかく、重要なものには名前がつく。
ものでなくても、重要な事柄には名前がつく。
そこなんですね。
ちょっと話を戻しますと、ギョーカイ用語。
「コーヒー」→「ヒーコー」は言葉の置き換えですが、
例えば(あんまり詳しくはないんですが、まぁテレビ程度の知識で)
「てっぺん」(って24時のことなんですよね?)とか
「○○時またぎ」とか、ですか。
これらって、他のコミュニティーにはない言葉で、その業界ではそれに名前を付けることが有用であったから、名前がついている、ということなんですよね、きっと。

で、これらは別にそれだけの話なんですけど、
隠語。
これもコミュニティーごとの特性がとてもよく現れる。
(適切な例が思いつきません)

あの、みてる方も、なんか書き込んでくれて構いませんからね。
同時に書くと挙動がおかしくなるみたいですが、ページを更新すれば多分OKですので。
どうぞ。

odamichi:
隠語は思い当たらないなぁ。
nariakiiwatani:
ちょっと過激な例かも知れないですが、うーん。かけない。えーと。。。
警察をポリとかマッポとか呼んだり。

odamichi:
犬って言って、警察っていうのは隠語だよね?
nariakiiwatani:
ー!そんな感じです。
裏に別の意味がある言葉?なのかな。
そうですね。表の意味があるかどうかはさほど問題ではないですが、
とにかく、その真の意味を隠している言葉です。
権力に対しての反抗を、その権力に悟られない、もしくは悟られても言い訳のできる形で示す。
それによってより仲間意識が強調される、というわけです。
学校の先生にあだ名を付けるとか。まあコレはばれますけどw
でもそれがばれたところで、もしその先生がそのあだ名を許容したら
先生も、晴れてそのコミュニティーの一員になれるわけですよね。
悪いパターンだとさらに別のあだ名をつけられるわけですが。
まぁともかく、言葉遣いというものは、コミュニティーへの帰属意識や
ある人の、あるコミュニティーへの参加度を量るのに使われますよ、というお話ですね。

言語の違いも、結局そういうところに繋がると思います。
どれだけ日本語ができても、母国語が別でその言語が一番使いやすい人であれば
その人の頭の中は母国語でできているわけで
日本語が前提で生じたコミュニティーには入りにくいところがあるのかもなーと思います。脱線ですが。
odamichi:
知らないことばで話されると、疎外感が強くなるね。
わかるとちょっと嬉しかったり。
あ、2chとかニコニコ動画のタグとかはそういう要素あるよね。
nariakiiwatani:
まさに!!!
2chだと、その言葉がわからない人は拒絶する、というところまでちゃんと(?)文化として出来上がってますね。
そのよしあしを論じることはまた別の話ですけども。

使える言葉は多い方が良いですね。
自分の考えの方向が増える、というのも良いところですが、なにより、自分が使える言葉が通じる人とは、自分が自分のまま話ができる。
ちょっとはわかるけど自由には使えない、という程度の言語だと、
「言いたいこと」が「言えること」を前提として考えられてしまう感覚に陥ります。
こういうところどうでしょう。
odamichi:
ああ、わかる。そして少し知ったかぶることがよくある。
nariakiiwatani:
というと?
odamichi:
んー、とねぇ……言葉を言葉としては分かるんだけど、はっきり説明できなくて、
でも、言葉としては知ってるから会話としては成立してて、
でもたぶん、相手の言葉の内包する意味と自分の思っている意味にずれがある、って言う状況がある。
突っ込んで話すと、ちょっと違うっていうリアクションが来る。
ギョーカイ語的なことではないかもしれないけど。
たんに言葉の理解度の問題か。
nariakiiwatani:
ギョーカイ用語にもそういう側面があると思います。
普通に聞いててもわかるんだけど、そのコミュニティーのニュアンスを知っているとちょっとずれる、というもの。
これは重要な視点なのでは。

詳しくないですが、例えば、「ギロッポン」が単に六本木のことだと思っていたら、六本木の中でもある特定の地域を指すニュアンスが強かったり、といったことろ。
(実際どうかは知らないですよ)
で、単に六本木のつもりで話していたら、「え、いや、そこは六本木だけど、ギロッポンとは言わないよ」と返されてしまったり。
まとめにはいりますか。
じゃあそんな世の中で生きている僕らはどうしたらいいの?
まぁそんなたいそうなはなしではないんですが。
「自分のわからない言葉が、どういう場面で、なぜ使われているのか。」
それを理解する、あるいは理解まではできずとも、それを考えるという視点を持つ。
それだけで、得体の知れないものへの理解が深まる気がします。
理解できずとも、理解しようという姿勢が生まれる。
あるいはそこまでいかずとも、理解しようと努力するかどうかの「判断ができる」。
これは重要だと思います。

「できない(するかどうか、という選択肢がない)」ことと「しない」ことは雲泥の差だと思ってます。
これはまた後日、言語の話ではなくテーマにします。

と、こんなところですかね、今日は。
結論を求めた話ではなかったので終わりが決めづらいですがね。
odamichi:
(学生のときの飲み会の気分だった。楽しかった。
「できるけど、しない」と、「できない」は全然違うね。ほんと に。)
nariakiiwatani:
さて、無理矢理まとめます。
ギョーカイ用語は暗号性のある言葉です。
それは単に、他のコミュニティーの人に分からない話をするためではなく、
逆に少しわかるような使い方をすることで、その人の「ギョーカイ度」をより正確に、より生々しく、より自分の基準で量るために発展した「言語」である、と。
また、そのような「コミュニティー依存の言語」は、各国の言語と同じような役割も持ち、他の言語では難しい物事を表現する手段となる。
つまり、排他的な性格を持ち、独自の文化を形成するために大きな役割を担っている、と。
それに触れたときに考えるべきことは、ギョーカイ人を別の人種だと思うのではなく、ギョーカイ語を得体の知れない危険なもの、価値のないものととらえるのではなく
その言葉が生まれた経過をおもんぱかることで、その文化を理解しようとすることである。
その姿勢は、ギョーカイ用語やギャル語、方言に触れたときのみならず、他国の言語に触れたときにも共通するものである。
と、こんなところでしょうか?要は物怖じせずに何にでもぶつかって行け、興味を持て、ということですかね。
無理矢理なまとめですが、いかがでしょう?

odamichi:
自分と異なる文化背景をもつ他人を「認める」ってのはすごく大事だと思うのです。
「認めない」が結局はいざこざや、大きくは戦争の根本の気がするし。
興味を持って、異文化のバックボーンを知ろうとすることは、とても重要なことだと思います。
相手のギョーカイ語、興味を持ってみるべきなんでしょうね。
nariakiiwatani:
「相手のギョーカイ語」
いいですね。

さて、そろそろ終わりにしましょうか。
odamichiさんと、みてくださっているあとお一方、ありがとうございます。
また次回も近いうちに(明日か明後日かくらいの「近いうち」です)やりますので是非よろしくお願いします。


では、言い残したことがなければ、終わります。

odamichi:
おつかれさまでしたー。
nariakiiwatani:
おやすみなさい!